2023年 私の写真の師匠が撮影
高校時代に父から一眼レフカメラをもらい、写真に熱中。大学は九州芸術工科大学で画像設計(グラフィックデザイン)を学びました。のなかなのは、学生時代に友人がつけてくれたペンネームです。
その後、企業戦士生活で写真熱は冷めましたが、定期健康診断で肺がんの疑いありの通知を受け、「死ぬ前にやっておきたいことはなんだろう」と考えたら、ひとりでに足がカメラ店に向いていました。レンズ交換式のデジタルカメラを手に入れて、休日は一日中カメラを持って歩き回っていました。その後、フィルム写真の魅力に取り憑かれ、写真雑誌への投稿にも熱中しました。(ちなみに、数ヶ月後の精密検査で肺がんの疑いは晴れました)
現在は、写真クラブ「ノザクラ」を運営しており、岐阜県の西濃地方を中心に活動しています。クラブ会員のお母様の遺影写真を撮らせていただいたことがスタートとなって、生きざま写真の活動を続けています。撮影をご希望の方は、日程などについてお話しできればと思いますのでぜひご連絡ください。
[経歴]
昭和40年 福岡県北九州市出身
昭和58年 福岡県立小倉高校卒
昭和62年 九州芸術工科大学卒(九州大学)
[職歴]
三洋電機株式会社
パナソニック株式会社